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僕が、生活し、読書し、音楽を聴き、映画を見て等の感想文です。

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合理的について
現在の日本では合理的=能率的という考えが多いのではないか?しかしこの世には夜と昼があるように活動的な時と休息する時は共に大事であり、健康を保ちたいのなら昼は活動的でも夜は休むことが重要である。能率的=合理的な世の中では昼も夜も活動的な躁状態となるのである。さらに携帯電話等でいつも電磁波を受けているのであるから肉体は躁状態になりやすいであろう。釈迦、法然は80歳、親鸞は90歳、天海は107歳まで生きたと言われているが彼らの生き方は参考になるであろう。
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テーマ:日記 - ジャンル:日記

意見を聞くことと考えること
少し前、編集者の書いた本を読み始めた。その編集者は著者の仕事について十分理解しているつもりになっていたが、理屈では確かに理解していたが、本を書くということがどんなにつらく孤独なものか実際のところわかっていなかったと書いてあった。このことからわかるように編集者と著者では仕事の内容が異なるのであろう。著者(作家)は孤独な仕事であることは間違いない。私は、綿矢りさの「勝手にふるえてろ」を読んでいろいろ考えさせられた。確かに作家は孤独であり、本の中には繊細で深い思考で書かれているものも存在する。私も作家に近い生活を送っているので綿矢りさ氏の考え方もある程度、推測できるような気がするのである(単なる思い込みかもしれないが)。ところで確か筑紫哲也氏は立花隆氏が田中角栄氏について書いて名声を得たことに対して新聞記者は書けたのに等新聞記者は嫉妬した、しかし筑紫氏は新聞記者では絶対書けていないと書いていたと記憶している(まちがっていたらすみません)。このことを考えると孤独な環境での仕事と他人から情報を得る新聞記者や編集者等の仕事では大きく違うのであろう。とはいえ他人の意見を聞くことも一人で考えることも真実を知るためには共に大事なことであろう。


綿矢りさの「勝手にふるえてろ」を読んで
世の中には良くも悪くもまったく知らない人の情報を得られる方法がいくつかある。例えば有名人の情報やインターネット上の有名でない人の情報である。私もネット上に情報を発信している有名でない一人であるが、最近、文学界に載っていた、綿矢りさの「勝手にふるえてろ」を読んだ。彼女の作品について私はかつて一作だけ読んだが、感想については書いたかどうかの記憶も定かではないし、公表したことはもちろんない。読んでから時が過ぎたため感想の内容も覚えているような、覚えていないような感じである。今回読もうと思ったきっかけは年月が経て正直に言えば歳をとってどうなったかなと思い読んでみたのである。読んだ感想は作品の内容も年齢に応じたものであった。「勝手にふるえてろ」で彼女が言いたいことは、恋愛は妥協の産物と言っているように私には解釈された(歳を得ての意見だろうか?)。しかし本当に綿矢りさ氏がそう思っているのかは不明だ(そう思っていないのではないか?)とひねくれものの私は思ってしまう。確かに巷では、無関心は愛の反対であるという意見があるが、私は同意しない。神は悪い人間や未熟な人間に対して無関心なのか?愛はないのか?と思うからである。しかし恋愛は妥協?と言われると違和感がある。とはいえこう思わせるのが、綿矢りさ氏の意図なのかもしれない。したがって解釈は読者によって異なるので私(無名の、見知らぬ人)の解釈にすぎないと言っておく。詳しく読みたい方は8月28日に文藝春秋社から出るようである。そういえば綿矢りさ氏は以前NEW23に出ていたな。
ジャーナリストと哲学者の共通点
12月7日に筑紫哲也さん、逝去から一年、シンポジウム&ミニライブをやるらしい。
私は学生時代からNEWS23を見ており、筑紫哲也さんから大きな影響を受け、ジャーナリストを目指した。残念ながらなれなかったが。その後大きな影響を受けた人に哲学者の梅原猛氏がおり、梅原氏の著書から二人がお知り合いだということは知っていたが、それほど深い付き合いではないのかと思っていたが、最近、筑紫氏が朝日ジャーナルにいたころに梅原氏に本を書いてくれるよう依頼し、本を書いていたということを知り、結構、関係があるのだと知った。確か梅原氏との対談が筑紫さんの最後のNEWS23の出演と言っていたような(これは正確ではないかもしれません)。確か梅原氏は著書で記者はただ政治家や官僚が言ったことを記している存在にすぎないと述べていたが、筑紫氏は、ジャーナリストは権力を監視して権力の暴走を止めるものだと繰り替えし述べていた。お二人はともに戦争を経験されているからこそ、日本の記者ではだめだと認識していたのだろう。この文章を書こうと思っていたら昔はリストラなどしたらマスコミは黙っていなかったのに今ではリストラが普通の世の中になってしまったと筑紫氏が言っていたことをふと思い出した。あれからも、時間は流れたなあと実感する。話は戻るが、哲学者とジャーナリストの共通点は、権威だろうがなんだろうが関係なく、常識を疑って真実を追究し、世の中をよくすることだと思う。ただ哲学者には社会に向けて発信して世の中を良くしようとする義務はない、一人で真実を探求し真実ととともに生きてもいいのである。それに対してジャーナリストは真実を社会に訴え、社会をよくすることが仕事であろう。梅原氏が生まれたのは戦争をしなければならない暗黒の時代であり哲学者として平穏に生きることはできなく、哲学者でありながら社会に訴える必要のある時代であったのであろう。私は哲学者梅原猛氏とジャーナリスト筑紫哲也氏が出会ったのはそういう生きる上での目的意識に相通じるところがあったからではないかと思っている。

倫理学者
哲学の一部門に倫理学があり、倫理を研究している倫理学者は、日常的に倫理について研究しているのであるから、倫理など考えず、あるいは無視して堂堂と倫理に反する行為を行なっている人間は絶対に許せないし、そういう人間とは人間関係をもとうとはしないであろう。神の啓示でもなければ。それだけ真剣に倫理について考えて生きているのが倫理学者である。

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